連載 「日本宇宙開発史から読むビジネスチャンス」 第5回 
米国宇宙を支えるハンツビルの強み(その1:ロケット編)

日本の宇宙開史とともに歩んだからこそ見える、日本の宇宙ビジネスのこれから。山浦技術経営士事務所代表、元JAXA理事、山浦雄一氏によるコラム、第5回。

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  • 米国宇宙ベンチャーBlue OriginのBE-4エンジン新工場の持つ意味
  • フォン・ブラウンに始まる米国ロケットの聖地
  • NASAと企業群と大学が牽引するハンツビルのエコシステム

巨大企業Amazonのジェフ・ベゾスCEOが創設した米国宇宙ベンチャーBlue Originが、2019年1月米国アラバマ州ハンツビルのカミングス・リサーチパークで、最新の高能力ロケットエンジンBE-4製造工場の鍬入れ式を行った。実は、BE-4は同社のみならず米国政府にとっても大変重要なエンジンである。そして、場所がハンツビルであることには歴史的・技術的な背景がある。
コラム第5回と第6回では郷愁を交え(何故かは後ほど)、宇宙の街ハンツビルをご紹介する。

フォン・ブラウン由来のロケットの聖地

BE-4は、Blue Originが自社の大型ロケットNew Glenn(再使用能力保有)の第1段用として開発した、液体酸素・液体メタンを推進剤とする大型エンジンである。BoeingとLockheed Martin合弁のロケット打上げ事業者ULA(United Launch Alliance)が、ATLAS-Vロケットの後継機として開発中の大型ロケットVulcanの第1段にBE-4を採用することを、2018年9月に発表した。
現在国防総省は安全保障衛星の打上げにATLAS-Vを使うことが多いが、第1段エンジンはロシア製のRD-180である。2021年に予定されるBE-4エンジン搭載のVulcanの初打上げが成功すれば、米国政府は長年の懸案を解決することになる。

1958年のNASA創設の後、1960年、ハンツビルにマーシャル宇宙飛行センター(MSFC: Marshall Space Flight Center)が設立された。MSFCは、NASAに10箇所ある宇宙センターのトップ3の一つである。
「ロケットの父」と言われるヴェルナー・フォン・ブラウンは、1945年にドイツから他のロケットエンジニアら(一説には1,000人~1,600人)とともに米国に移住し、1950年からハンツビルに定住してロケット開発に取り組んだ。彼は陸軍のRedstoneロケットで実績を上げ、1958年Juno 1(後にJupiter C)ロケットで米国初の衛星(Explorer 1)打上げを成功させた。その後MSFCの初代所長を10年(1960年~1970年)務め、1969年にSaturn Vロケットでアポロ計画を成功に導くなど、ハンツビルの発展と米国宇宙史に様々な足跡を残した。

sum3.pngフォン・ブラウンとSaturn Vロケット[写真NASA]

ハンツビルは、知る人ぞ知るロケットの聖地である。MSFCは、スペースシャトルの推進系(主エンジン、燃料タンク、固体ロケット)開発を担い、現在はSaturn Vに匹敵する探査用大型ロケットSLS(Space Launch System)の開発を行っている。MSFCではSaturn Vやスペースシャトルなど宇宙史に残るロケットエンジンの燃焼試験設備が継承され、エンジン試験風景は珍しくない。
また、ハンツビルと近郊には、BoeingのDelta-IVロケットやULAのVulcanロケットの工場がある。ハンツビル郊外を大河テネシーが悠々と流れる。製造されたロケットは、水路テネシー川、メキシコ湾を経てフロリダ州ケープカナベラル(射場)に運ばれる。

BE-4工場がハンツビルで稼動するとVulcanロケットの機体と第1段エンジンの製造が同じ地域で行われ、ロケット組立ての効率化が進む。政府/ULA契約獲得と量産化という宇宙ベンチャーにとって高いハードルを、Blue OriginはBE-4エンジンでクリアすることになる。
更にBlue Originは、自社New Glennロケット第2段の液体酸素・液体水素エンジンBE-3Uも、ハンツビルで製造すると発表した。BE-3UがVulcanロケットの第2段エンジンに採用されるかどうかが、今後の注目点である。

ハンツビルにある宇宙開発の空気感と自負心

Blue Originがハンツビルを選んだ理由は、同社によると、この街にあるMSFC、宇宙・防衛関連企業300社、アラバマ大学ハンツビル校(UAH)を中心に形成されるエコシステムと人材である。
UAHは日本での馴染みは薄いが、研究資金規模が全米大学約4,300校中の第14位であり、航空宇宙工学、宇宙科学などに強みを持つ。2018年に国防総省の研究・技術担当次官に就任したMichael Griffinは元々研究者で、2009年にNASA長官を退任後UAHの教授を長年務めた。JAXAの H-IIA/BやH3のロケットエンジニアにも、UAHで長期派遣研修で1年間学んだ人が数人いる。
BE-4は、2020年3月からハンツビルのリサーチパーク(規模全米第2位)で製造される。1962年にフォン・ブラウンが提唱し実現させたリサーチパークは、彼の背中と伝説に感化され育った人材とともに、この街に根付いている。

sum4.pngNASAマーシャル宇宙飛行センター(MSFC)の中心部[写真NASA]

6,000人が働くMSFCの強みは、ロケットに留まらない。有人ミッション、宇宙科学ミッション、技術開発、基礎研究など多岐に亘る。1980年代からのスペースシャトル利用時代には、MSFCはスペースシャトル宇宙実験室(Spacelab)ミッションの全体マネジメントを担っていた。

私は、30代半ばの4年間(1985年~1989年)MSFCで仕事をした。日本初の宇宙飛行士スペースシャトル搭乗プロジェクト(後に「ふわっと92」と命名)で、宇宙開発事業団(NASDA:後にJAXA)職員1人がMSFCに駐在しNASAと技術調整を行う。それが私の使命であった。
ハンツビルは、緑豊かで水が美味しくのどかで住みやすい街であった。1985年の着任前は、米国南部の小都市で日本人はどう受入れられるのか見当がつかなかった。行ってみたら、宇宙開発が仕事だと言うと話題が広がった。街には、宇宙開発の空気感と自負心が漂っていた。

ここから続く話題は、1980年代半ば~2000年頃にNASDAが間断なく取り組んだスペースシャトル利用プロジェクト(大小約10ミッション)の意義・価値、今思うハンツビルのエコシステムである。続きは次回のコラム(第6回)でご紹介したい。

山浦雄一(やまうら・ゆういち)

山浦技術経営士事務所代表、元JAXA理事 山浦雄一(やまうら・ゆういち)

高校時代に人類初の月面着陸を見て、宇宙開発を志す。1978年4月~2017年3月の39年間、宇宙開発事業団(NASDA)及び宇宙航空研究開発機構(JAXA)に在籍。JAXA最後の4年間(2013年~2017年)は理事として、経営企画、産業振興、国際関係、情報システム、システムズエンジニアリングなどを担当。併せて、最高情報セキュリティ責任者(CISO)。JAXA理事退任後、2017年5月から三菱電機株式会社にて顧問(宇宙事業担当)。2008年より、筑波大学客員教授。2019年5月より、山浦技術経営士事務所代表。

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