提供:MHI

ロケット開発の現場に学ぶ
マネジメント術(中編)

高い成功率を誇る三菱重工のロケット。モノづくりの極意について担当者に聞いた。

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  • H-IIAロケット6号機は三菱重工ロケットで唯一の失敗
  • 各社の協力を得てシステム全体を改善
  • 大切なのはどのようにやるのかという「ノウ・ホワイ」

2017年3月の時点で、日本の基幹ロケットであるH-IIAロケットの打ち上げ成功率は97%。これでH-IIAロケットの打上成功回数は通算32回。33機中32機がミッションを達成していることになる。そして、このH-IIAロケットシリーズ中唯一打ち上げに失敗した6号機のプロジェクトをマネジメントしていたのが、現在の打上執行責任者である三菱重工業の二村幸基執行役員フェローだ。

2003年11月29日、当時メディアでは「日本の宇宙技術への信頼を大きく揺るがす失敗」など報じられた、H-IIAロケット6号機の事故が発生。だが、そこからわずか1年3ヶ月後には設計を見直したH-IIAロケット7号機を打ち上げ、以降は海外からも高い信頼性を評価されるほどの連続成功記録が続いている。そして打ち上げ成功率100%を誇るH-IIBロケットと合わせると、なんと33回連続の成功を達成しているのである。致命的な失敗から体制を大きく変更し、「リターン・トゥ・フライト」を合言葉にNASDA(後にJAXA)を中心に開発関係者が一丸となってH-IIAロケット7号機を成功させるまでの、当時の現場の様子を二村さんにうかがった。

H-IIAロケット6号機から7号機の間に何が変わったか

当時は、純国産で高コストのH-IIロケットから、信頼性を高めつつ海外の安価な部品を利用することも視野に入れてコスト競争力を回復させるべく開発されたH-IIAがようやく安定して生産され始めた頃。一方で、固体ロケットブースターSRB-Aを2本から4本にした H-IIA 204型( H-IIA ロケット11号機)の開発は佳境に入り、さらにH-IIAロケットでは打ち上げられない大質量の宇宙ステーション補給機を運ぶためのH-IIBロケットは開発が立ち上げられたばかり、と非常に錯綜した時期でもあった。

二村 「H-IIAロケットを淡々と打ち上げるだけならいいんですが、H-IIAロケット204型やH-IIBロケットといった、同じような見た目だけどちょっと違う、というデザインの機体が入ってくると現場が混乱するんです。なので、検査は特に厳しく見て回っていましたね。」

だが残念ながらH-IIAロケット6号機は、SRB-Aのうち1本が分離しなかった。そのため予定の高度に達する見込みが無くなったとして、打ち上げから約11分後に地上から指令破壊コマンドを送信、自爆させた。

そこから1年3ヶ月後の2005年2月26日。運輸多目的衛星「ひまわり6号」を搭載したH-IIAロケット7号機は、天候不良による打ち上げ延期を経たものの、無事にミッションを成功させた。そして、この1年3ヶ月という間には、実は日本のロケット生産において大きな変革が含まれていたのである。

まず時代背景として、H-IIAロケット6号機以前のロケットはまずNASDA(後にJAXA)が開発責任者であり、その下に三菱重工や IHIエアロスペース、川崎重工などが同列に配置されていた。各メーカーがそれぞれ担当部位を製造し、それをNASDAに納めて組み上げるという枠組みだった。しかし、H-IIAロケット6号機の打ち上げ失敗を受けて立ち上がった「H-IIAロケット再点検」(以下、「再点検」)ミッションは、SRB-A分離という直接原因もさることながら、全体的なデザインも一から再確認しよう......という、開発の枠組みの見直しを含めたものとなった。

各社が同列の状態では、各社それぞれの担当部分はチェックできても、全体の見直しは難しい。そこで「再点検」では、三菱重工がNASDAをサポートして、他社の設計に対して一定レベルまでレビューできる、という立場をNASDAから与えられることとなったのである。とは言え各社とも独自開発した技術や設計ノウ・ハウを三菱重工に見せたくはない。それをあえて開示してもらうのは非常にハードルの高い仕事だったという。

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リターン・トゥ・フライトを合言葉に

しかし、H-IIAロケット開発に関わる技術者たちの間には共通の意識があった。H-IIAロケット6号機の失敗を早く取り戻したい、すぐにでも打ち上げを再開したい、というものだ。そこで二村さん達は「リターン・トゥ・フライト」を合言葉にして、各社に協力のお願いをして回った。

二村 「あの時は、とにかくシステム全体を良いものに仕上げることに注力していました。「我々が必要な物は見せてもらいたいし、逆に必要なら我々の持っているデータも見せるから」と説得して回っていましたね。それから「大丈夫だから。我々がこの技術を見たところで作れるワケじゃないから」とも言っていましたね(笑)もちろん、これ以上は見せられない!というところをこじ開けに行ったわけじゃありません。我々が知らないとどうしてもレコメンドできない部分をちょっとだけ見せてくれ、とお願いし続けました。」

結果として、各社とも必要な情報を開示することとなり、NASDAの下で三菱重工が全体を見渡す「再点検」の体制は、数ヶ月もしないうちに整ったという。もちろん今回は点検するだけでなく、そこで顕わになった改善点を設計、製品にフィードバックさせなければいけない。「かかった期間ははっきり憶えていないけど、見直しはかなり迅速に行いました」と二村さんは言う。

「再点検」でポイントとなったのは、各社でデザインの個別最適化をしても全体のシステムとして上手く動くとは限らない、ということ。そこで三菱重工は「この部分はこういう考え方でデザインしよう」というような共通の改善検討ポイントの提案を行った。そのポイントに合わせて考えると、各社とも「この部分はこう直すべきだ」と思考が統一され、成果も揃うことになる。そして、この「再点検」により、膨大な部品点数の中から数十点の設計変更点にまで絞り込まれた。

二村 「この時に、会社の違うエンジニア同士が話し合いできるような雰囲気が醸成できたのは良かったです。てんでばらばらに作ったものを集めて組み上げて...という状態よりは遙かに風通しが良くなりました。」

そして、この「再点検」の際に三菱重工で中心的な役割を果たした二村さんが大切にしていたものが、「ノウ・ハウ」ならぬ「ノウ・ホワイ」という考え方だった。

なぜ「ノウ・ハウ」では駄目なのか? そもそも「ノウ・ホワイ」とはどういう意味なのか?
次回は、ものづくりにおいて重要な「ノウ・ホワイ」という考え方についてお伝えします。

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